「刺激と感傷」
2007年5月19日(土)
新大阪から、AM8:27発のぞみ210号に乗車。
発車と同時に眠ってしまったらしく、気がつくと窓の外には、風力発電の風車がブンブンと回っていた。
浜名湖の様だった。
残念ながら、富士山はガスっていて見えなかった。
そうこうするうちに熱海を過ぎ、AM11:00 東京着。
東京は、雨上がりだった。
手荷物で持参した作品類をひとまずホテルに預けようと(搬入は明日なので)、
大手町から東西線→日比谷線と乗り継ぎ人形町のホテルへ。手荷物から解放され、いざ出発。
とりあえず、腹が減ったので、
通りがかりの居酒屋のランチ(私はカレーラーメン定食、わんぼる君は鮭塩焼定食)を食う。
向かいのドトールで一休みして、まずは、日比谷線で六本木へ。
ミッドタウンのANDO建築を目指した。
高層ビルを抜けると、現れた低いグレーの屋根‥。あれがそうか!?高鳴る胸‥!速まる足!がぶり寄る俺達!
ステルス戦闘機の様な形態が視覚に突き刺さって来る。
興奮冷めやらぬまま、内部に足を踏み入れると、
眼が焦点を結ぶ先で交差するコンクリートとガラスで構成された空間に光が降り注いでいた。
ひとしきり、その光と影の構造の中を回遊し、ため息をつくと、名残惜しみながら、次の目的地へ移動した。
乃木坂から千代田線に乗り、小田急線で祖師ヶ谷大蔵下車。
環八通り沿いの隈研吾建築に向かった。
排ガスで、いがらっぽい環八に出ると、向こうに皮肉に満ち満ちた肝の座った建物が本当に建っていた。
近付き、その拡大された虚飾と、その背後にある確信犯的思想にやられた。
絶えず行き交う自動車と、午後の逆光がより我々の暮らしを浮き彫りにしていた。
帰りは、住宅街を抜けて駅まで戻り、駅前の喫茶店に入り受けた衝撃を整理した。
夜は、学生時代お世話になった赤坂のボスと六本木で落ち合う事になっていたので、再び乃木坂に戻った。
PM6:00六本木でボス夫妻と合流。
東長崎のそば屋へ案内された。
住宅街の中にある、一見お店とは思えない民家で、座敷の外は広い縁台が施されており、
低いブロック塀に囲われた庭には、雑草と木がいい加減で生えていた。
ビールで乾杯し、わさび菜をいただいた。
思い出と現状が入り乱れた会話に、みなで笑った。
いつしか、焼酎にかわり、時折、庭に目をやると雑草とブロック塀が良い感じで、私は竜安寺を思った。
ホウボウの昆布〆や卵焼き、そして最後にそばをいただいた。そば粉が腹の中で力になって行く事を実感しながら、
我々は、店を後にし夜風に千鳥足で歩いた。
あたたかいボスの計らいでタクシーでホテルまで送られた。
明日の搬入の緊張は拭い切れ無かったが、酔いに任せてベッドに倒れこみ、
今日一日の出来事が記憶となって旅立って行くのを見送った。