リバーシティ
第1回

「佃島リバーシティ建設現場」

1998年 綿布 染料 ししゅう糸 ベニヤ板 水性塗料  120×160×1.5cm

これは、私が、大学院2年の5月頃の作品です。
私は、学部卒業後に進むべき道を見出せずに、親からの仕送りに甘え、
大学院へと進んでいました。
しかし、院の1年に、予期せぬ細菌性右膝関節炎により、後期のほとんどを
病室で過ごす事になってしまいました。
学校の課題の方は、入院時のエスキス・写真・日記を提出し何とか進級出来ました。

退院して再び歩く東京の街は、私には、以前にも増して激しいスピードと得
体の知れない力で変動して行く巨大で冷たいものに映りはじめました。
それは、私の学生生活のタイムリミットが近づいた為、その様に映り出したのか、
長い入院生活で、すっかり社会に怖気付いてしまったのか・・。

退院後、大学は、入試の為、長い冬休みとなりました。
私は、ろくに就職活動もせず、学部の時からアルバイトで大変お世話になっ
ていた、ジゴクペイントの名付け親である、遊部ロイロ工芸の大型の塗装改
修工事に入れていただきました。
粉塵まみれの塗装工事現場とアパートの往復の日々でした。

そんな冬休みも終わった院2の春、修了制作に向けてのプレ制作とでもいう
べき研究制作が各自始まりました。
私の都市への眼差しは、日毎、荒涼としたものになっていきました。それは、
やっと自覚した不安と寂しさを風景になぞらえていただけかもしれませんが、
私は、それをスケッチするようになりました。

この「佃島リバーシティ建設現場」は、当時住んでいた、江東区門前仲町の
アパートへの学校からの帰り道、一つ前の茅場町で下車し永代橋を渡る時に
見えた当時の風景です。
私は、大きな隅田川を風に吹かれて歩くのが好きでした。当時、永代橋から
は、建設中のリバーシティが見えました。
毎日、激しい工事が進んでおり、その職人さん達の汗とは反対に冷たい構造
物が出来上がっていく様子がとてもせつなく思えました。

私は、その様子を撮影、スケッチし、学校のアトリエで、綿布に溶かした蝋
をひき、それをニードルで引っ掻いて線を描き、その傷を染める、ろうけつ
染めの技法で風景を描き、その風景の中に、職人さん達の思いになぞらえ、
花びらや、葉っぱを刺繍しました。
そうやって出来た染織作品を、希薄な白を塗ったベニヤ板に貼り付けたのが
当作品です。

この後、私は、ヘッドフォンと日本酒への傾倒を強めながら、修了制作へと
向かって行くのでした。

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