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過去の時候の挨拶1

2013.4.11

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過去の時候の挨拶7

過去の時候の挨拶8

★何度目かの嵐の襲来を経て、桜の花も散り、ぬくくなったかと思えば
また寒い今日この頃の大阪地方。

何とも落ち着かない陽気の春ですが、みなさまお元気でお過ごしの事と
思います!

私の方は今年で数え年、祝!フォーティ・ワンを迎える肉体の腹の底から、
憧れのおっさんのうめき声ブルースを本気モードで噴出させつつ、
職務&家事〜搾りカスの様になったマイ・ブレーンが出す指令を断裂気味
の神経に乗せて筋肉を駆使、しまして帳面〜絵筆、〜台所、そして労働
と繰り返している毎日であります。

老化・・ひとえに喜べない夕焼けのような悲しさもありますが、それは懐かしい
新境地なのかもしれません。


追伸: 先日、大阪市立美術館で開催中の特別展“ボストン美術館 日本美術の至宝”
を観て来ました。辻先生の本の表紙をはじめ、あちらこちらでぐりんぐりん、インパクトを
刷り込まれてきた曾我蕭白のあの雲龍図をはじめ、日本美術の名品の数々が里帰り
しとるということで、観たい気持ちに反し、凄い混んどるんやろなぁ・・と、なかなか腰が
上がらんやったのですが、先日の嵐の日に思い立って行ってみたところ意外にも空いて
おりまして、ゆっくりと落ち着いて観ることが出来ました。

明治維新、廃仏毀釈、御雇外国人フェノロサ&ビゲロー氏による尋常でない収集・・と
したたかな香りが頭の中にチラつかん事も無い、それはそれは凄いコレクションで、
冒頭の狩野芳崖の実にエロい線描〜奈良時代のボワボワながらも眼を釘づけにしてしまう
曼荼羅図の愛らしさ(当初はくっきりしていたみたい)等々・・のっけから、いかに彼らが
日本美術の特異性に歓喜していたかが伺える、流石の外からの視線による目ざとい
までのセレクションの応酬でした・・。

(全巻公開されていた吉備大臣入唐絵巻も、ある種“どうなん?”な狡猾な内容と、すっとんきょう
ながらも、人物の動きを的確に捉えた筆致はなかなか興味深く鳥獣戯画にも似た印象を持ちました。

それに反して、平時物語絵巻はとてもシリアスな描写で、牛車の車輪の回転している様の表現や、
兵士の弓の線の美しさが効いていて、画面全体に流れるピッとした緊張感の気持ち良さにいたく
感心しながら横へ横へと歩みを進めました・・。)

〜江戸絵画、琳派と経て、気色悪過ぎる曾我蕭白コーナーと巡り現れた、雲竜図・・暗闇にどーん!!!!!
と並んだ二点の衝撃が脳ミソの後ろ側に熱く、背中に震えが来まして、これは、そうそうあるものでは
無いレベルの興奮度であるなぁ・・と熱く喜びました・・。

私、正直、曾我蕭白があまり好きではないのですが、あれは凄かった・・。本当にあるのか・・
これしかないのか・・これの事だったのか・・と目の前に見えているのにずっと信じられない気持ち
でした・・。


というわけで、米蔵人おくむらさんでの一斗缶画廊、および常設展は現在入れ替え準備中ですので
今しばらくお待ちください。

過去の時候の挨拶9

過去の時候の挨拶10

2013.4.19
★初夏を思わせる陽気になったかと思えばまた寒い・・大阪地方の今日この頃
ではありますが、みなさまお元気でお過ごしの事と思います。

せっかく“ぱっ”と咲いた我が家のベランダの苺の花も、小さな白い花弁を冷たい風に
揺らしております。以前に比べ、日毎ふっくらと発酵のスピードが上がって来ていた
台所の塩糀もここに来てまたじっと活動を停滞させております。

私の方は、片付けられないままのストーブを朝晩、つけてみたり消してみたり、
股引きを履いてみたり脱いでみたり、と右往左往、只々気温の影響下、ひたすら
無力に暮らしておる毎日です・・。

ところで、先日は、ボストン美術館展と並んで今年の関西地方、有数のビッグな企画
と思われる京都国立博物館で開催中の狩野山楽・山雪展へと行ってきました。

豪壮な桃山時代の趣向、筆遣いが“ごん”と来る山楽による大覚寺の水墨画・松鷹図〜
工事中の常設館でもおなじみであった紅梅図で始まった今展・・。

大覚寺・妙心寺〜大通寺をはじめ、福井のお寺〜静岡、東博、日本相撲協会博物館、と
日本各地から集結した山楽、山雪の作品は、戦乱の世〜江戸の平穏さに至る世相を
反映するかのように、若冲をはじめとした江戸絵画の個人的趣向への著しい傾倒や、
琳派の装飾性の始まりともみれる様な要素が随所に感じられる大変興味深い内容で、
日本美術史上の特異な変革が決して一夜にして起きた訳ではないように思えました。

(こんなものもあったのか・・と、様々な作品が並んだ展示は楽しく、聖徳太子の一生を
時代を追わずランダムに配置している四天王寺の杉戸絵にはじっとひきつけられました。
また画帳にしるされた山楽・山雪の下図の考察ぶりに一見豪快な筆使いに思われる作品が
綿密な下準備の上で描かれていることに驚きました)

また、山雪による維摩居士図や寒山拾得図の当時にこんなサイズでこんなトリミングあったん!?
な奈良さんや村上さんばりのカットに驚き、仏教的画題を現代のポートレイトを扱うような
思考で処理してしまっている大胆さ、新鮮さにハッとしました。

ラストの展示されていた水禽図屏風も、群れた水鳥の動きや樹木、岩場の表現の特異性のみならず、
波濤がねりねりの盛り上げで描かれていたことにびっくりでした・・。

この後は、出町柳〜川べりに少し桜が残った鴨川の春の黄緑とピンクとの可愛い色彩を横目に
丈の低いタンポポが咲く今出川通り〜八重や枝垂桜にシジュウカラにメジロが遊ぶ御所と抜け、
地下鉄〜JRで日常が待つ大阪へと帰りました。



というわけで、米蔵人おくむらさんでの一斗缶画廊、および常設展は現在入れ替え準備中ですので
今しばらくお待ちください。

2013.4.28
★急な雨風に肌寒さ〜半袖で行けそうな陽気と、よう分からん天気
になっとる今日この頃の大阪地方ですが、みなさまお元気でお過ごし
の事と思います!

歩道の脇にはティッシュがごとき白でふぁんふぁん、咲いたツツジが
乾いた風に揺れております。気がつけば4月ももう終わりです。

私の方は、どうにもならん社会の底で只々、ひーこら生きている毎日
ですが、どうにか元気に暮らしております。

米屋のおくむらさんから頂いたお米袋のパッケージ画の仕事の一発目
(兵庫県は但馬地方、村岡のお米2種)が一段落ついた先日は、おくむらさん
の案内を受けまして第2弾となる滋賀県は高島市のお米生産者の方の
ところへとお邪魔させて頂きました。

僕ら、仕事の都合で夕方の到着となってしまったのですが、まだ緑に
なりきっていない新芽がもくもくと湧く山並み〜ところどころ水が入った田んぼ、
静かに広がる琵琶湖・・に大きな夕空が広がる風景はまた一味違った新鮮な
感動で、山並みや田畑に大きく連なって映る雲の影や、水田にスキッと反射する
夕空の心洗われるような美しさにハッとしました。

全ては書き切れませんが、生産者の方の案内で歩いた完全無農薬の田んぼ
の畦は見れば見るほど、視界の隅々まで沢山の種類の植物が芽吹いていて、
(私、レンゲくらいしか名前が分かりませんでしたが・・)生産者の方が少しちぎって
手渡して下さった菖蒲の香りがなんとも強くて清々しくて、あぁ・・持って帰って風呂に
入れたい・・と思いました・・。

そんな夕空をヒュッと飛んでいくツバメの姿や、軒先で水を飲みながらきゃんきゃん
尻尾をふりまくるワンちゃんの愛くるしい笑顔、(聞く所によりますとチワワとパピヨンの
雑種で大変キュートな美形にもかかわらず無防備な目ヤニ・・〜そこらへんを転がり
まくるのか、腹の毛はフェルト化しておりましてそれがまた何とも自然で・・空気が
反映されるんですかね?)とにかく可愛かったです!!

また別の日に安曇川〜高島と歩き、鴨稲荷山の遺跡や民俗資料館等訪ねてみたのですが、
鴨稲荷山古墳の家型の石棺、その丁寧な加工にみられる思いに加え、その凝灰岩・・何と
奈良県の二上山から運ばれて来たものとの事で驚きました・・。

・・二上山・・といえば、先日、私がお世話になっておりますデザイナーさんのところに寄らせて
頂いた時、帰り際にひょいっと何気に貸して下さった中沢新一さんがナビゲートする折口信夫さん
の小冊子で日本の浄土信仰の原点として紹介されていたあのお山ではないですか・・!!


近江米の歴史・・とんでもないです・・。



というわけで、米蔵人おくむらさんでの一斗缶画廊、および常設展は現在入れ替え準備中ですので
今しばらくお待ちください。

2013.5.3
★不安定な空模様になかなか温くならん今日この頃の大阪地方
ではありますが、みなさまお元気でお過ごしの事と思います・・。

にょきにょきと生えてきた我が家のベランダの萩の新芽も冷えた空気の
中で伸び悩み、じっと様子を伺っているようであります。

私の方は、先日、滋賀の高島で観た鴨稲荷山古墳の石棺の産地である
奈良の二上山の麓に位置する當麻寺(・・“たいまでら”・・すごい名前です・・)
の特別展が現在、奈良国立博物館で開かれているというので、近鉄線に
乗り込み行って参りました。

久しぶりに歩いた奈良町の商店街は、さすがのGWとあって、歩くのもままならない
結構な混み合いで、なかなか“大和路を歩く・・”というようなノリではなかったのですが、
それにもまして、以前の割とひなびた印象が京都とはまた違って良い感じだった
商店街が、世代交代もあってか、まぁ良い事なのでしょうが、軽井沢や清水寺
を思わすような商売っ気が強まっており、何といいますか、若気(?)あふるるカフェカフェ、
シフォンケーキや釜出しピッツアの応酬・・な感じで、柿の葉寿司や吉野葛な雰囲気が
ほとんど見られなくなって行っているのが寂しかったです・・。ここ奈良なのに・・恥ずかしい・・
というか、居場所が無い・・と言いますか・・。

そんな気持ちになりながら、猿沢の池まで這い上がり、にごった水を泳ぐ鯉や
甲羅干をする亀、水面に浮かんだビニール袋の風景に何故か落ち着き取り戻した私は
暗い部類の人間であるな・・と自覚しつつも、わんぼる君と明るい気持ちになり、
池のほとりに建つ、“大仏サイダー”の旗を掲げたある意味“古建築”な昭和の佇まい
息づく観光茶屋で、かやくごはんとうどんの定食を食いました。

薄〜いダシにぺにょぺにょなかまぼこ、天かすがふやけたうどん〜貧乏臭い、塩気
ぎりぎりの薄さが美味しいかやくごはんはこれぞ関西・・な落ち着きで、絶滅危惧種な
風情に、儚く癒された私は又しても暗いな・・というか、立派なおっさんやな・・と思い
ながらも、嬉しく元気になり、興福寺の階段を駆け上がりまして、まずは特別公開中の
南円堂・北円堂を拝観いたしました。

・・初めて入った南円堂、グッと写実的な彫りと、動きの瞬間で止まった立ち姿が、
実に格好良くキマった四天王に囲まれた観音菩薩坐像は、あの運慶の父、康慶一門
の手によるものとのことで、袈裟の重みやゆらめきを感じさせる程のリアリティに佇まい、
光背の繊細な彫り、は肉太な朱塗りのお堂の柱と、漆喰の白、天井の仏光を模した金色の装飾
とも相まって大変素晴らしかったです・・。(お堂は江戸時代の再建ということでしたが、東大寺
南大門な“ごんぶと”なノリが腹にゴン!っと来る感じで大変良かったです!仏像と建築のつくり
のマッチングとその様式に浄土寺を思い出しました。)

〜そうして、日本美術、彫刻史上の最高峰、無著・世親像が御座します北円堂へと入ったのですが、
阿修羅ブームの影響なのか、ライトアップが施されてしまった堂内は、以前の、憂いある薄暗さが
消し飛ばされてしまっており、湿度と季節感を湛えた美しい自然光で観た記憶は遠く、全方向、
細部まで照らし出されたお二方の姿が痛々しく残酷で、僕ら耐え切れず、言葉を失くし、直視出来ん
まま外へ出てしまいました・・。

〜鹿のフン・・と、“うどん”の看板を掲げた茶店から香る、ダシの香りが何とも言えねぇ・・感じ
でブレンドされた新緑の奈良公園の能天気な陽気さに気を取り直し、ポクポク歩いて、到着した
国立博物館・・。

はやる気持ちを抑えつつ、ロッカーに荷物を預け入った展示室・・導入の味わい深い
“當麻寺”の扁額〜二上山に沈む夕日の写真パネルに思いを馳せながら歩みを進め、
飛鳥時代の瓦に彫られた御紋や仏の断片・・と、当時の人々の手仕事の数々にぐぐっと
魅せられました。

才色兼備であったという中将姫の像は、絵画・坐像共に確かにインテリジェンスあふれる
美しさを湛えておりまして、グッ・・と言いますか、ゾクっ・・と、熱く来ました。

(ちなみに民俗学者の折口信夫氏は中将姫を主人公に「死者の書」という小説を書かれて
いるらしいです。「死者の書」と聞いても、電気グルーヴの“エジソン電”の凄いグルーヴと
歌詞が頭の中にめぐってしまう私・・。両者をつなぐ謎が何か秘められているのでしょうか・・。
今度読んでみようかしらと思います。)

そして、蓮の花弁がハラハラと散る様が美しくあしらわれた曼荼羅の厨子の扉の、古代とは
思えぬそのかわゆさに見入って現れた當麻寺の本尊!!(織物、2次元の曼荼羅が本尊の
お寺なんてあるのですね!!)は、やはり、さすがに繊維の劣化で、織られた内容の認識はなかなか
難しかったですが、4メートル四方のデカさのインパクトは凄く、この密度を“一日で織り上げた”
っていうのは、さすがに伝説やろ・・と思いながらもガラスにへばりつき、解説の図像〜室町時代
の“文亀本”と照らし合わせて楽しみました。(・・私、今まで曼荼羅にあまり興味無かったのですが、
こうやってみるとおもしろいものですね・・。如来様の下の舞台で舞っている人達の姿も気になりました。)

〜二上山からデカい日輪を背にぬっと現れた阿弥陀如来の姿を描いた図、の笑ってしまうくらい
の感動まで楽しみ、お腹一杯で暗い会場から明るい外へと出ますと、来しなに寝ていた鹿が
まだその場所で寝ていて、呆れるやら微笑ましいやらでした・・。


この後は、駅前の和菓子屋さんで、念願の美しきチュルチュル!の透明な弾力が嬉しい葛きりを頂き、
奈良滞在をしめくくり、近鉄線に乗車〜石切から臨む、車窓に広がる大阪の街の風景に太古、難波
の宮の姿を重ねながら帰りました・・。


というわけで、米蔵人おくむらさんでの一斗缶画廊、および常設展は現在入れ替え準備中ですので
今しばらくお待ちください。

2013.5.12
★穏やかな天気に恵まれたGWが過ぎ、くっそ忙しい日常が復帰、肌寒かったり
汗ばんだり〜小雨、晴れとくるくる・・移りすぎて行く今日この頃の大阪地方ですが、
みなさま、お元気でお過ごしのことと思います!

私の方はGWのまとまった時間にここぞ!とばかりに、見学魂に火を灯し、キャノン
AEー1に感度100のフジフィルム・36枚撮りを充填〜先日の奈良博の當麻寺展
で観た曼荼羅の影響から、密教美術の殿堂・東寺〜念願の二上山の本堂・當麻寺、
と経て、現在の本題、滋賀県高島市へ・・と、再び戻るかたちで、巡りまわって参りました。


悲しいことに詳細をすぐ忘れてしまう自分の為に、行った先々の感想を延々・・
長々と書き記しましたので、みなさん興味無いと思いますがアップさせて下さい・・。


東寺・・奈良博で触発された當麻曼荼羅ですが、曼荼羅って、そもそも一体何が、
どういう目的で描かれているんだろう・・と、今になって気になった私は、彫刻立像
による“立体曼荼羅”を今一度観れば、高度な精神修行を積む事無く、宇宙の構造・・
しいては、あのサイケデリックな図像の覚醒感をシラフで感じることが出来るのでは・・?
密教を伝えた弘法大師も、悟りに達して無い大勢の人々の為に、そう考えて建築・美術
を駆使して、東寺、こと教王護国寺を建てたのではなかろうか・・
と安直に考え、毎度のJR、新快速へと乗り込み、東海道線や新幹線の車窓からも
“京都に来ました!”なシンボル感を今日も放ち続けているあの五重塔の立つ東寺へと
向かいました。

GWでいつも以上に混みあっている京都駅のコンコースを抜け、久しぶりに降り立った
南口の町は閑散とした落ち着きで、僕らぽっぽこ・・途中現れる“BAR空海”や“東寺うどん”と
いった屋号〜近づいて来た五重塔にテンション上げられながら到着〜堀の向こうに見える
宝蔵(東寺中最古、平安?)の校倉造りに、正倉院といっしょのスタイルではないか!
と暫し感嘆・・!〜はやる気持ちを抑えて拝観手続きしまして、食堂〜講堂と観て回りました。
(・・JRで分断されてしまう前の本来の京の都を感じるのなら近鉄線で南大門から入った方が
“やって来ました・・!”な感慨は大きかったのかもしれません・・)

そうして入った講堂の立体曼荼羅・・ガチョウの上に座った梵天に始まり、持国天〜多聞天、
〜五大菩薩、そして印を結んで座る大日如来を中心に五智如来、の左隣には不動明王
を中心とした五大明王が火炎を背に“ふんぬ”の表情で並び、ラストは増長天〜象に乗った
帝釈天、広目天と並んでおり、これだけの諸仏が一堂に並んだお寺はひょっとして珍しいのでは・・
と私、今になって思いながら、売店に飾られた曼荼羅図と見合わせて観覧・・。
(如来を中心とした金剛界の諸仏に異形の五大明王を加えた珍しい並びは空海のオリジナル
の編成とのことで、曼荼羅図を単純にそのまま立体化している訳では無いのはサービス精神
からなのだろうか・・と思いながらふむふむ・・)

〜講堂を後に、金堂へと向かい、十二神将を台座に配した薬師如来を中心に、日光・月光菩薩
を従えた金堂の、天井の高さと堂内の朱と白が剥げ落ちた雰囲気のものものしさに驚きながら
(意外にもお堂は江戸期の再建、仏像は江戸の慶派によるものとのことでした)ひとしきり観覧
〜黒くそびえ立つ五重塔へと向かいました・・。

そうして、暫し外周を回りながら五重塔を見上げて入った塔内・・は、(こちらも幾度かの焼失を経て
江戸期の再建ということでしたが)天井・長押等全面に渡って極彩色の模様が描かれた、これこそ
立体曼荼羅なのでは!?な空間で、大日如来に見立てているという中心の心柱の周囲には、
頭上に金色の天蓋が吊られた金剛界の四如来坐像〜さらにその両脇を菩薩立像がかため、
四本の天柱には金剛界曼荼羅の諸尊が連なった円の中に描かれており、平面・立体、水平・垂直
とあちらこちらから、曼荼羅チョップをくらっているような、視覚的な“攻め”を受ける感覚が今までに
無い感じでひじょうにワクワクしながら塔内を回りました・・。仏像のつくりが割と平板な印象なところも、
二次元彩色の曼荼羅や水平に吊られた平たい天蓋と、独特なテイストで調和していて、何といいますか、
一時期流行った焦点をずらしてみると何層かの立体に見える画像のような三次元感で貫かれている
構成が大変個性的で楽しい空間でありました・・。


〜売店で曼荼羅図の下敷きを横目に曼荼羅関連本を立ち読み、精神的原理を表す金剛界と、
物理的原理の胎蔵界の曼荼羅を合わせて両界曼荼羅というのか・・とフムフム・・頷きつつも今ひとつ、
その図像が指し示す意味と感覚を理解出来ないまま、大師堂〜宝物館、〜観智院と観て回りました。

(大師堂・・どこか北野天満宮を思わせるピシッと、気持ちの良い印象でした。東寺を造る際、空海が住んで
いたらしく、現在のは室町時代の再建とのこと。観智院・・三井寺の観学院や光浄院を思わせる格好
良い書院でした。江戸期の再建とのことで床の間には宮本武蔵の水墨、鷲図が描かれてました。)

と一通り拝観・・。洛南高校を横目に東寺を後にし、弘法大師展のポスターが貼られた文具屋のガラス戸の
向こうに見える、ボールペンやマッキー〜サインペン、といった現代の筆記具の陳列風景にも空海の教えが
息づいている京都の可愛さ・・に感じ入りつつ、空海プレゼンツの立体曼荼羅の見学を楽しむ事が出来ても、
結局、両界曼荼羅が何を描いているのかさっぱり理解できないまま帰路に就いている私は、“密教”の言葉が
指すように、“・・全ての人に開かれていながら、悟りに達していないものには明らかではない世界・・”を
文字通り実感しながらもと来た道に出て、JR高架沿いをぽっぽこ・・天下一品ラーメンの看板を横目に
黄色味がかってきた日差しの中南口へと帰りました・・。




〜東寺での密教見学を経て向かった當麻寺・・JR天王寺駅から通りを渡り、あべの橋駅から乗り込んだ近鉄
南大阪線は、それほどの時間揺られた訳でもないのに、車窓には緑ゆたかな丘陵にぶどう畑が広がる、旅情
溢れる路線で、その解放感に嬉しくなりながら運ばれていくと、過ぎ行く駅ホームには、聖徳太子〜小野妹子の墓、
はじめ数々の古墳群の案内が記されはじめて、・・何なんだこのラインは・・!とビビっておると、車窓進行法方向右手
に、ぽっこり、新緑で湧いたふたこぶが現れ、・・あれが二上山か!?とわくわく高められて當麻寺駅に到着。

のどかな光とゆるんだ空気の中、参拝客と思しき方々の後をぽちぽち・・駅を出ると、ヨモギ満載のザルが軒先に
出され、白く大きな暖簾に、立派なひらがなで“よもぎもち”・・!っと書かれたお店が現れまして、気になって
中の様子を伺うと、店内、厨房には更なるよもぎが盛られており、お姉さま方がせっせとお餅を作っておりました。

なんでも店内でお茶付きで出来立てをいただくことができる・・!とのことで、僕ら、いきなり食うことにし、二上山と
夕日の写真が掛けられたお茶席で、急須と、塗りたてのアンがみずみずしく輝くよもぎもちが乗ったお盆の風景を、
朝の光の中で眺めながら頂きました。
(・・伊勢の赤福本店を思わせる参拝客思いなサービスが気持ちよく、さっぱりとしたアンが消えたあとに五月の
ヨモギの草っぽい風味がしっかりやって来て繊細さと野趣が大変美味しかったです・・)

〜お店を出ると、出口角の暖簾には同様のタッチで“中将餅”と書かれていて、そのタッチにこもった中将姫の愛されっぷり
と敬意に、よもぎもちのきれいな余韻が重なりながら、参道と思しき道を僕ら歩くこと暫し・・右手に現れた関所の鳥居
みたいな石づくりの柱の間に、石の灯篭とも碑ともつかない塔頭が現れ、その奥に何故か、葛城市相撲記念館「けはや座」
なるものが建っていました。

何かよくわからんけど、観光マップや参道の案内が貰えそうなので入ってみると、何でも日本で始めて天覧試合が
行われた(日本書紀に記されているらしい)相撲発祥の地・・!!とのことで、ほんまかいな!?と何故か笑ってしまい
ながら観覧手続きをし、入ってみると、中には角に塩の桶が据えられたホンマもん(?)の立派な土俵(・・私、ちゃんとした
土俵を観た事が無かったのでよくわかりませんが、そこからは、何ともスピリチュアルな美しさが発せられておりました・・)
があり、周囲には升席、その後ろの展示ケースには歴代の横綱の写真に始まり、まわし(・・よくよくみれば注連縄・・つけた
力士が塩まいて闘う・・って、まさに神事です・・)〜戦時中の相撲雑誌の表紙やら、緑と赤の大胆な構成がポップな
籠やら、相撲関連の資料が並んでおり、あらためて観れば、行司の方のスタイルも神主さんみたい・・と溢れる不思議な
魅力に、私、本場所に行ってみたくなりました・・。(飾られていた力士の浮世絵・・本物?!も素晴らしく、先日観た山楽展
の寒山捨得図のような、そのトリミングの洒脱さにハッとしました。特に豊国、国貞のものが単刀直入に“来る”感じがして
好きでした!!〜後で知ったのですが、入口の石づくりの塔頭は、出雲の野見宿禰(のみのすくね)と我が国初の
天覧試合をして亡くなってしまった葛城の當麻蹶速(たいまのけはや)という相撲の起源となった方のお墓だったそうです・・!!

〜交差点、柿の葉寿司屋の向こうに現れた二上山にわおっ!とエキサイトしつつ、参道沿いの御家の玄関に飾られた
注連縄の初めてみる特異な様式に、来しなの近鉄線で見た“二上神社”のものかしら・・と惹かれながら次第に登り坂
となってきた道をすすみ辿り着いた當麻寺山門・・がフレーミングする二上山にほっほーんと感嘆・・!〜出店が並んだ
庶民的な、意外にも和やかな雰囲気の境内をじゃりじゃり歩いて、拝観手続き、まずは正面の本堂からお参りいたしました。

・・こうして入った堂内は、昭和なおばちゃんの声による解説テープが流れる親切空間で、案外耳障りでないそのサウンド
に耳を傾けながら、私、眼の前に広がる一気に把握出来ない状況を、気持ちを落ち着けながら確認していきました・・。

左脇に金箔押しの阿弥陀如来立像を従えた、御本尊!の、先日の奈良博で観た例の大麻曼荼羅の文亀2年(1501年)本
がずごーん!と納まった六角の厨子は、天井の貼られていない本堂の朱塗りの垂木、梁、までのぎりぎりの高さといい、
柱の朱〜漆喰の白とも良い具合にピタリと来ていて、黒地に朱の漆塗りのにゅりんにゅりんした文様の塗りあとの厚みも
豊潤な迫力を醸していて実に格好良かったです!さすが国宝を張るだけのマスターピースであるなぁ・・とその存在感を実感・・
噛み締めました。(本来、ここにあの中将姫による綴れ織の曼荼羅が入っていたのかと思うと、その威力はとんでもなかった
事でしょう・・!!)

〜當麻寺に密教を伝えた弘法大師がこもって修行されたという“参籠の間”を拝観、(織殿の間に普段いらっしゃるという
中将姫の像は奈良博へ出張中の知らせが貼ってありました)〜講堂、金堂 (法輪みたいな光背をしょった四天王像は、
どこか中国の兵馬俑を思わせる独特さで、平たいフォルムが印象的でした)〜奥の院、宝物館と観てまわりました。

(・・中将姫の織った當麻曼荼羅は、弘法大師が中国から伝えた東寺の幾何学的、組織図的構成の曼荼羅と比べると
だいぶドラマチック、叙情的であったことがわかりました。これを観た大師は姫が金剛・胎蔵、両界の真理を会得されて
いたことを見抜かれたとのことでした。・・ということは、姫は密教の教えを受けずに、その“密”に到達し、曼荼羅という
概念無しで、それと同等のもを織ってしまった!ということでしょうか・・?!その才に境遇が更なる追い討ちをかけた
結果なのでしょうか・・凄いです・・天然に勝るもの無しです・・)

〜特別公開中の国宝、日本最古の梵鐘まで観させていただき、下山〜駅前でレンタサイクルを借りまして、電動アシスト
のペダルをぶいん!と漕ぎ出し、奈良・葛城の畑がひろがる大和路を自由に動き回れる喜び!にわっと感動、先程まで
とは違う角度から様々な表情を見せる二上山に興奮!〜首子塚古墳〜中将姫が織糸を染めたという石光寺(・・境内の
あちこちに咲いた牡丹・・綺麗でした・・私的には、腐れ気味の花弁が妖艶な姿をさらしている枯れ始めのものに一層の
魅力を感じました・・)〜道の駅(葛城産の柿とニンジンのジャム買った)〜二上神社入口の傘亭まで回って下り坂を
シャーっと帰還。

〜丁度来た電車に乗って、車窓の二上山の頭上に近づいて来た太陽を眺めながら帰阪・・。〜疲労しつつも、混み合いの
JR・天王寺駅コンコースの現実感・・に飲み込まれたくなかった僕らは、意気投合!しまして交差点を渡り、夕陽丘まで闊歩!
〜四天王寺の門を潜り、西日に照らされた鳩&亀、朱の剥げたお堂・・の風景の中を歩き、西方、ビルの向こうに
沈み行くオレンジの日輪に本日のルートを反芻・・アスファルトの下に息づく古代史の連なりに思いを馳せながら帰路に
就きました・・。


・・と経て、ようやくの本題、滋賀県高島市へと舞い戻ったのですが、ちょっと長くなりすぎましたので、また後日書きます・・。

というわけで、米蔵人おくむらさんでの一斗缶画廊、および常設展は現在入れ替え準備中ですので
今しばらくお待ちください。