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2013.5.19

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★日毎ジリジリ来る日射しに早くも気温30℃越えの日も出始めた
今日この頃の大阪地方・・ですが、みなさまお元気で過ごされている
事と思います・・!

私の方は、忙しない日常の最中、突如下った辞令により、別れの実感、
寂しさ、過ごした時間の感慨・・と振り返ることもままならんまま、懐かしくも
新しい勤務地へと移動・・新たな出会いとごんごん降り積もって来る職務
に心身共に否応無くリフレッシュかまされながら、これも運命・SADAME
でごじゃりましょう・・と生きておる毎日であります。

朝メシの方では、サラダに入れていた大根をキュウリへとシフトしまして
懐かしの夏モード、濃い緑で目覚めの身体を一新、日の出が早まり、
白い眩しさが増した街の風景の中へと出動かましております。


・・というわけで 先日のつづき、三度目の来訪となった滋賀県高島市の
自身の為のレポートですが、この度はJR新旭駅でレンタサイクルを借り、
ヒバリがぴゅるぴゅる鳴く、ところどころ麦の植わった田園地帯を漕ぎまくりまして、
藁園神社~道の駅~正傳寺、と経まして、針江地区、地域の方々が案内
してくださる湧き水を利用した「かばた」と呼ばれる古くから現在に至るまで
各家庭~集落に作られた生活体系を見学して参りました。

鯰が奉られているという藁園神社では、たまたま、境内をお掃除中でありました
おじさま(・・ひじょうにカジュアルなスタイルでありましたが、おそらく神主さん
であろうと思われます・・)が、飄々とご先祖さまが関わるその縁起を語って下さり、
社務所に飾られたユニークな奉納品~宝物の数々までみせて下さりました。

五月の例祭が終わったばかりということで、畳の上には、子供達が着たという
洗濯されて乾いた青や白のハッピがきれいに畳まれていて、それらが縁側
からの光を受ける空気の中で伺ったお話しはやさしく、穏やかなひと時でした。
(ひじょうに飾らない雰囲気の方でありましたが、神事の装いはさぞ、キマル事だろう・・と
勝手に想像しながらお話しを伺いました。)

また社殿~鳥居に掛けられた注連縄が独特で、先日の二上山、當麻寺の参道で
観たものに似た形式でしたので由来をたずねたところ“・・変わってますか?”との
実直なお答えが返って来ました。帰りには三方に乗せて絵馬にお守りまで持たせ
て下さり、びっくり、かたじけないやら申し訳ないやら・・只々感謝でした!!

~再びチャリチャリ漕ぎ出し、琵琶湖半まで辿り着き、牧歌的な空気の中、動物型の
乗り物がゆっくり行き交う、何とも言えん感じの道の駅~透明な水がこんこんと
湧き出る池に、沢山の鯉が泳ぐ正傳寺(ミズヤナギきれいやった。)

(~昼メシは寺に行く途中、たまたま入ったうどん屋さんでおだやかなご主人が
入魂で打ってらっしゃる全粒粉2割りのうどん、釜玉で頂きました。湧き水で
打たれているからでしょうか、清浄な美味しさに喉~身体が喜びました!)

・・と、回って参加した「かばた」見学ツアー・・地区の酒販店のオバちゃんの案内を
受けながら巡った「かばた」と呼ばれる各家庭~地域全体に至る、湧き水を利用した
生活体系は、その水のきれいさ(丁度、田植えの時期で、一部水路に田からの水が入り
濁っておりましたが、各家庭のもといけからから流れ来る水は凄い透明度でした)、~美味しさ
(頂いた竹筒のコップを首から提げ、各所で飲みながら回りました)に始まり、水路にそよぐ
ところどころ花をつけた梅花藻~カワニナ(・・ホタルの餌になるらしい)~ハヤの群れ、
にヨシノボリ、~ナマズやアユの産卵に配慮して作られた水路、耐火・防虫性に優れている
という焼き杉を多様した家屋がつくる独特な風景は、観光を意識して景観を維持している・・
というより、ふつうに現役な感じで、それがまた案内のおばちゃんの人柄とあいまってとても
清々しかったです。

また、おばちゃんから発せられる、“うちかばた”、“そとかばた”、“ホームポンプ”~“もといけ”、
“はたいけ”~“いろごい”(錦鯉のことらしい)・・といった独自な用語もふつうに違和感無く
確立されているらしく、その地域独自性は、“・・俺も、そとかばたにしてホームポンプ欲しいな・・”
って思うぐらいの影響力で、だいぶカッコ良かったです!

只、案内所~駅周辺と、あまりの、色気づいた商売っ気の無さ・・に、思い出の品が記憶でしか
無い潔さ、というか、さびしさ・・に“近江商人”の商魂はいずこに・・と思いながら、帰りの新快速
の車窓から、比良の山並みが映る夕暮れの水田が流れて行く風景を眺めた私でした・・。

・・高島、その米所たるゆえんは比良山系の山々を背にしたきれいな水の湧き出る地形にあった
のですね・・!!その美に理由あり!でした!!

追伸: 道の駅で買って来たシジミの佃煮・・醤油・みりん・はちみつ・生姜飴(!)で煮られたそれは、
しみじみ・・味わい深い淡海の滋味でした・・!


というわけで、米蔵人おくむらさんでの一斗缶画廊、および常設展は現在入れ替え準備中ですので
今しばらくお待ちください。

過去の時候の挨拶10

過去の時候の挨拶9

過去の時候の挨拶11

2013.5.25
★五月とはいえ、だいぶ突き刺す感じの日射しが照りつけている
今日この頃の大阪地方ですが、みなさま、お元気でお過ごしの事
と思います・・!

私の方は、移動に伴い、支給の申請のタイミングを誤ってしまった
半袖制服が未だ届かんかたちで、厚手の冬服が充満させる熱気に
日々発汗・・袖を捲り上げて腕~顔面、首、とジリジリ日焼けに
やられながら勤務・勤務しておる毎日であります・・。

家事・クッキングの方では、朝メシのサラダにゴーヤ、弁当のレギュラーおかず
の塩糀ホイル焼きにトマト&レモン~晩の味噌汁にはピ-マン、もしくはキュウリ!
(・・味噌汁にキュウリ・・ある意味“ホットもろきゅう”であります・・)を導入する
などして、紫外線が破壊した打っても響かん、ハリを失ったエヘラ笑いの40代の肌
のほてり&疲れ・・を気持ちだけ癒しておりましゅ・・。


・・と、時候の挨拶はさておき、去るGWに訪ねた奈良国立博物館~當麻寺、に喚起されて
しまったのか・・私、学生時代の日本美術史、および染織史の授業等々で、“我が国最古
の刺繍作品”というふれこみで何度も耳にしていた“天寿国繍帳”という言葉が、無性に
思い出されてしまったのですが、当時、学校の授業に対して、心の底からから美を渇望する体勢
で食いついて行けてなかった私は、悲しい事にその内容、画像、詳細が脳ミソの記憶に
全く残っておらず、今になってそれが気になって仕方なくなってしまいました・・。

が、耐久性に乏しい天然繊維素材の宿命、傷みの激しいそれは、奈良国立博物館に収蔵
されており、なかなかお目にかかれそうもありませんでした。・・が、中宮寺にそのレプリカがある・・!
とのことでしたので、行くなら今だっ!(・・あの弥勒菩薩も観れるしっ!)と意気込んで、行って参りました。

(・・すみません・・また長々と書いてます・・)

・・と、乗り込んだJR大和路快速線。近頃は、何故か環状線に入り込んでいるそのラインは
乗れば大変・・環状線内の目的の駅をとばしとばし・・惑星探査船がごとく、環状線をはずれ、
古の都へと連れて行かれてしまう素人の日常乗りにはなかなか危険なラインなのですが、
この度はわくわく!乗り込んでびゅんびゅん、近鉄線とはまた違った山・川の風景の中を運ばれまして、
法隆寺駅に到着。

~パゴちゃんとせんとくんの立看板に迎えられ、ほくそ笑んでしまいながら、のびやかな空気の
バス乗り場~緑に鹿のマークの奈良交通に揺られ、皇居を髣髴させる、独特な雰囲気を醸した
松並木の参道がエキサイティングな法隆寺に到着いたしました。


・・で、否応無く上がるテンションを抑えつつ、まずは、法隆寺から拝観いたしました・・。
(伽藍内から見える五重塔の欄干が、修復後間も無いようで、6世紀の中国からの伝来という
卍づくめの様式がちょっと、法善寺あたりのラーメン店が如き際立ちでみえていましたが・・
でも、創建当初はそれだけミックス・カルチャーな建築であったということでしょう・・)
しかしながら、塔全体のバランス、安定感のあるフォルム・・!にズゴン!と突き刺さった迫力の
相輪は、東寺や興福寺の塔とはまた違った格好良さでした。

(塔内の、あの可愛らしい塑像群が近くで観れなくなっていたのが、だいぶさみしかったです・・。
マナーの悪い方がおるんやろうか・・。でも、強い日差しの外から、涅槃の場面の“号泣”のお弟子さん
は確認出来ました・・。)

~巻き付いた龍があらためて気になった金堂(・・釈迦三尊像、知名度のせいか、記憶の中で大きく
なってたんやろか・・思っていたより小ぶりに思えました。飛鳥時代の特徴なのか、独特な表情、
正面性の強い様式が貫かれていて、どの仏像も光背が宝珠の形をしている事に今になって気がつきました・・。
四天王が踏みつける邪鬼もインドっぽかった。)

~講堂(・・白地に茶の紋があしらわれた大きな暖簾みたいなやつがゆっくり、風にゆれる様が何とも大らかで
良かった・・)~エンタシスの回廊・・やっぱ本当にギリシャから伝来のスタイルなんだろう・・って思いながら、
相輪をチラ見・・しつつ、団体で歩く、修学旅行生の制服の色彩は、伽藍配置によくマッチするなぁ・・と
そのジオラマのような風景を眺めました。

~聖霊堂(・・閉じられた厨子内にいらっしゃるという太子坐像と同じく、秘仏である如意輪観音の写真が
飾られていまして、すごくセクスィーでした!!観たいっ!!と思いましたが、ずーっと秘仏だそうです・・。)

~綱封蔵(・・かつては、法隆寺内に33棟!あったという高床式倉庫のそれは、垂直・水平がシンプルに際立つ
中央部分がスパッとが抜けたモダニズム建築がごときスタイリッシュさで、その新しい感じに“・・ハッ”と足止め
くらいました。)

~あの百済観音がおわします大宝蔵院(・・展示室冒頭の小仏、重心をずらしたウエストのくびれたラインは
小さいながらも、かなりの色っぽさでした・・~百済観音の光背も宝珠のかたちをしていたんですねぇ・・)

~春季・秘宝展をやっていた大宝蔵殿(・・出土品であるという、木を心材に粘土をまびりつかせた制作途中段階の
塑像、その手の痕跡から当時の人たちの制作の愉しみのような雰囲気が伝わってきておもしろかったです・・。
また、平安時代の星曼荼羅にはじまり、鎌倉時代の作の太子にまつわる様々な場面を均等に並べ聖皇曼荼羅~
閻魔天曼荼羅・・と、もはや、密教の教義に基づいた曼荼羅というより、好きなもの、思い入れのあるものを
描き並べている感じが強まって行く様は、堂島のジュンク堂1階・漫画フロアのようなざわめきで、日本人の庶民的
趣味性へまっこうから突っ込んで行く傾向は、なにも江戸以降に開花した訳ではないんだなぁ・・と思いながら、
非常に楽しく拝観いたしました。太子を思い入れたっぷりに描いた孝養太子像の可愛らしくも凄みがある
入魂の筆致も、同様の趣味性への偏向が見られて、グッと来ました!!・・好きなものを描く・・基本中の基本
でありましょうが、勇気が湧くといいますか・・。いいですねぇ・・っ!!)

~いざ、中宮寺へ向かって東院方面へ向かうと、たまたま夢殿の、あのフェノロサ氏が暴いてしまった秘仏、
救世観音像が春の特別公開中とのことで・・ええんかいな・・と恐怖と好奇心に煽られながら、門を潜り
現れた、カナブンのようなむっくりとした夢殿、その八角のフォルムと、びやびやした宝珠の造形にざわめきつつ、
廻廊、向こうの礼堂の屋根のソリの美しさに感嘆・・~お堂の段を上がりました。

以前、秋の特別公開の時にも夢殿へ来たことがあったのですが、その時は外が明る過ぎて、暗い堂内が観えず、
救世観音の姿がよく分からなかったのですが、今回も快晴・・強すぎる日差しに、やはり観えんか・・と思われたのですが、
幸運にも、懐中電灯を持ったガイドさんを伴ったツアーの御一行がいらしたので、興味津々でこっそり、中腰で
何故か空いている最前列に喰らいつき、照らされる光の先のディティールを確認させていただきました・・!

身長180cmという救世観音像は思いのほかデカく、金箔の濃密な反射の向こうから来る異様な笑み、まなざし
は他に類をみない強烈さでありました・・。もし堂内で同じ空気の中、観る事が出来たら、そのインパクトは相当な
ものであると思われます・・。

宝珠を持つ、手・指のしぐさ、造形も非常に繊細で、左右対称の魚のヒレのような衣のひだの不思議さといい、
非常に個性的な仏像でありました。またフェノロサ氏が開いてしまった明治17年までずっと布にくるまれたままの
秘仏であったというだけあって、ほぼ完全な状態で残っている宝冠の透かし彫り~焔たつようなおおきな光背
(これも宝珠型)とすごい相乗効果でした・・。


・・と経て、ようやくの天寿国繍帳(・・のレプリカ!)が待つ中宮寺へとじゃりじゃり・・拝観手続き~向かった弥勒菩薩
とともに繍帳があられる池の上に建つ本堂は、水面の光が屋根に美しく反射する寺院建築のスタイルをとった近代建築で、
その軒に映るきらめきの揺れにみとれながら、東京国立博物館の法隆寺館のエントランスはこれへのオマージュだった
のではないか・・?と思いました。

そうして、靴を脱ぎ、上がった階段の向こうに待っていたのは、ハッと明るく穏やかな外光を受ける漆黒の
弥勒菩薩様で、その美しさ、穏やかさ、を伴いながらも強烈なインパクトを放つ姿には、只々感嘆でありまして、
僕ら、膝をつき、心ゆくまでじーっと眺めました。静かさと交互に流れる音声解説も穏やかな情緒があり、
興味深く耳を傾けました。

亡き聖徳太子を慕い天寿国、理想浄土のありさまを刺繍であらわしたという天寿国繍帳・・当初、二帳から成る、
かなり大きなものだったようで、現在のは飛鳥時代の原本と鎌倉時代の模本のわずかな残欠を繫ぎ合わせたもの
とのことでした。

展示されていたレプリカは植物染料で染めた生地と糸を用いて6年ががかりで制作されたとのことで、残欠の
たどたどしさまで再現されていて、さわやかな色彩とともに実物のスピリッツを辿ろうとする体勢に、何とも柔らかな
印象を受けました。本物とはまた違う印象なのかもしれませんが、見比べて観るとまた面白いだろうなと思いました。
刺繍された人や花の、玉虫厨子にも通じる様な、浄土の世界のひゅっとした浮遊感は、明けても暮れても権力闘争
が続く飛鳥時代の、仏法で和を成そうとした太子の気品ある夢であったのかも知れんなぁ・・と思いました。

このあとは、飛行訓練を始めたツバメの子達で賑わう駅前商店街~古書店をちょろ覗き、旅の名残りを惜しんで
再びの大和路快速に乗車。動き始めた車窓から法隆寺方面を眺めつつ、大和川~山間を越えて大阪へと運ばれて
帰りました・・。

・・諸説、謎の多い聖徳太子・・学習まんが 日本の歴史・第2巻によると、最後の言葉は“・・世間は虚しい、御仏だけが
真である・・”とのことでした。いつの世も、常に諍いの絶えない人間社会、秀吉の辞世の句の余韻にも似た、そのきれいな
さびしさに、フィッシュマンズのウォーキング・イン・ザ・リズムを思いっきりかけたくなってしまう私でした。



というわけで、米蔵人おくむらさんでの一斗缶画廊、および常設展は現在入れ替え準備中ですので
今しばらくお待ちください
2013.6.2
★例年よりも早い梅雨の到来が憂鬱を加速させとる今日この頃・・の
大阪地方でありますが、みなさま、お元気でお過ごしの事と思います!

さすがの梅雨とあって、生活のあちこちに灰色の、アジアンな、日本特有の
重たい空気が“じめっ・・”と、はびこって来る訳ですが、我が家のベランダの
萩たちはそんな空気にワンサカ・・鬱蒼と葉っぱを茂らせてニョキニョキ・・
成長の真っ盛りでございます・・。来るべき、灼熱の季節に向けてスタンバイ、
頑張っておくんなまし・・です!


・・と、時候の挨拶はこれくらいに、私の方は、先日、滋賀は高島のお米のパッケージ制作
にあたって更なる心の滋養・・!!を欲しとる自身の為に、又してもJR、湖西線へつながる
新快速へと乗車かまして参りました。

・・そうして道中、車窓に過ぎ行く“大津京”(・・私、大津に都があったことを知りませんでした。藤原京に
至る以前、壬申の乱で滅ぶまでの天智天皇の時だそうです!)~“おの”(・・聖徳太子に任命された遣隋使、
小野妹子の出身地!)~“わに”(・・漫画・日本の歴史によるところの朝廷に仕えた渡来系の知識人、
王仁氏に由来しているんでしょうか?!)・・と、湖西ラインに並ぶすごい駅名に今になってビビリながら
運ばれまして、今回は近江高島にて下車。

~見慣れて来た感のある駅前のガリバー像を横目にレンタサイクルを借りまして五月の日差しが眩しい空の下
チャリチャリ出発~琵琶湖沿いに出る前にまずは腹ごしらえ!と公民館前に昼定食の旗を掲げたお店に入ってみました。

・・ところ、店内、カウンターでは、現場系のあんちゃんがランチメニューと思しきオムライスを実に美味そうに食って
おりました.が、カウンターの上のネタケースとお品書きから、元来お寿司屋さんのようで、壁に貼られた“焼鯖寿司”の
文字がだいぶ気になった私は、面倒臭がられるやろなぁ・・と思いながらも、なかなか高島まで来れんし、きっとこの鯖は
あの福井のゆるキャラ“へしこちゃん”のふるさと、若狭の海から鯖街道を通ってやって来ているに違いない・・っと
わんぼる君と分け合う段取りで、わかめうどんと合わせてお願いしましたところ、やはり、ちょっと時間かかりますが・・
との返答でしたが、お願いしますっ!と粘り腰の決意でお願いしました。

・・そうして、壁にかけられた大津絵の藤娘~店内のテレビ画面・たかじん胸いっぱい、を眺めながら、先に届いた
わかめうどんに乗せられた錦糸卵!にさすがお寿司屋さんだわ・・っと、感激・・分け分け美味しく頂きつつ、
奥から香ってくる鯖焼きのにほい・・にぐぐっとわくわく・・~カウンターの向こうに運ばれて来た焼き上がったばかりの
鯖が巻きすで巻かれていく様にドキドキ・・“焼き立てで鯖が柔らかいので大きめに切っときます”と出された
焼鯖寿司はぺりっとした皮の焦げ目と断面にチラリのぞくガリのうす黄と、艶やかな酢飯の色味がとても美しくて僕ら感嘆・・!!

~ひゃ~ッ!!と頂きますと、甘くて香ばしくて・・力強い、鯖の味をもっちり酢飯がしっかりと支えておりまして、鯖の裏に
ピタッと入ったガリの甘酸っぱい爽やかさもピッとキマってたまらんやったです・・!!お吸い物も、庭で生えとるような
山椒の葉がぼんぼん入っており、その野生的な香りと爽快な味に、エンドレスな三角食べ?を加速させられまして、
美味い美味いと食っとると、おばちゃんがフキと山椒の実を煮たやつ~スイカ(・・初!)にパイナップルまで出して下さり、
かたじけないやら嬉しいやら・・~先日見た、“かばた”は針江地区に限らず、高島市一帯の、どの家庭でもあったなどの
お話しも聞かせて下さったりと、大変有意義なひと時を過ごさせて頂き、またしても、近江商人の商魂はいずこへ・・?
なサービスを受ける一方になってしまいましたので、お土産に醤油・酒・みりんだけで煮られたという、琵琶湖育ちの鮎煮
を分けて頂き、感謝御礼・・!!チャリンコ再出動で漕ぎ出しました・・。

~まずは、国道161号まで出まして、現れた琵琶湖に感動!・・いったん浜に降りまして、その砂の白さ、水の透明度、
砂と湖面の清々しい水色の濃淡の爽やかさに大喜び、穏やかな風と波の音の中、しばし呆然と眺めまして、再出発
~日吉神社横目に漕ぎ進み、結構な交通量に軽く恐怖しながら現れた湖面の鳥居!に向かって更にぐんぐん・・
で本日のメイン目的地、近江最古のお社、白髭神社に到着致しました。

・・白髭神社・・猿田彦命(さるたひこのみこと)を祀るというこの神社は、全国に約300ある白髭神社の総本山で、
創建は二千余年前・・~675年に天武天皇より比良明神の号を賜ったという、ひじょー・・に古いお社で、本殿裏の
山裾には、4基の古墳がある・・とのことで、神社前の琵琶湖の中に建つ大鳥居は、昭和12年に大阪は道修町
の薬問屋、小西久兵衛氏が古に湖中に鳥居があったとの諸説に基づき復興寄進されたとのことでした・・

・・と、“近江の厳島”という愛称では、ちょっと片付けきれない、凄い歴史を持つ白髭神社・・。

まずは、チャリンコをとめつつ瓦屋根ながらも入母屋造りに唐破風がついた、きちんとした桃山様式の社務所
に“おっ!”とハイテンション!~秀吉公の命により秀頼公&淀君が建立したというモノホンの桃山様式、
入母屋造り・桧皮葺きの本殿を参拝(・・拝殿前の鳥居の注連縄は先日、新旭で観た、鯰を奉った藁園神社と
全く同じスタイルでした。しかしながら、藁園神社・・は元来、かの中臣鎌足氏を奉られているとのこと・・!)

~直線道路をぶっ飛ばして来る車がとぎれない国道を命がけで横断!!(・・鳥居が建つ湖畔に出るのは、なかなか至難
の業で、ある種、神前の禊のようでありました・・。かといって、信号をつけるとその風景と建築が一体となった美しさ、
緊張感は台無しになることでしょう・・)と、経まして、道路から水際に続く石段を下って対面した、青い湖面に腕を組んで
仁王立ちした赤鬼・・のような怖さの迫力で建つ大鳥居・・を経て臨む琵琶湖~対岸の山並みの水色の風景は、鳥居という
建造物のフレーミングを介すだけで、何なんでしょう・・自然への畏怖といいますか、有難さといいますか・・が格段に増す
その、ある種おそろしさ・・の不思議に感嘆しながら、僕ら、立ち位置、首の角度と変えまして、鳥居を介さない風景との
違いの不思議を、石段にちゃぱちゃぱと打ち寄せる淡水の軽やかな透明と風の中で、只々感じるだけでありました・・。

~再び、必死の交通量の国道を、社殿側から渡って来ようとするご夫婦らとちょっと、イベンティな笑みで盛り上がりながら
ダッシュ!で渡り切り、本殿裏手の神宮外宮・内宮(お伊勢さんの分社ですかね?)~稲荷社~木漏れ日が差す山裾の
森・・の岩戸社(・・生い茂った樹々の間には野生の石楠花がところどころ咲き、緑の奥深い森の中からは“ヒーヒーホー、
ヒーヒーホー”と聴いたことのない鳥の鳴き声がしておりました・・)まで参拝。

・・と濃厚な空気に、本日の目標を達成した気分で、もと来た国道へとチャリを漕ぎ出し、暫し進むと、山沿いの坂道の
来しな見落としていた道標に“鵜川四十八体石仏群”と記されておりました。

ので、せっかくですから・・!と、寄ってみることにし、サドルから尻をあげ、ペダルを踏み込みジグザグ登坂・・途中山手に
現れる、かつて棚田であったとおぼしき、石積みと草ボーボーの風景・・にある種、ラピュタやな・・と、侘しさと落ち着きが
同居した気持ちになりつつ、道、合っとんかな・・と影になった坂道を下り、木立ちを抜けると左手に現れた風景にビックリ!!
驚きました。

・・山あいの、少し開けて明るくなったその空間は、大きな銀杏の樹と、ごついながらも穏やかな表情を浮かべた石仏たち
に守られた、地元の方々のお墓だったのです・・!

私は、その左手に抜けた山を背に、でんでんと列をなして座った石仏達の、想像していた以上の大きさ!(人より一回り
大きいくらい)に始まり、素朴で穏やかな、作り手の人柄を思わせるユーモラスな表情、彫りのタッチや体の厚み等々・・
個性的な造形が、相当な魅力をたたえているにもかかわらず、いわゆる文化財、美術品的扱いでなく、惜しげもなく
明けっ広げに、野ざらしで現在も地元地域の中で現役の墓守として勤めながら、背後の山、森、樹木、草花、虫、トカゲ・・
といった自然と一体となっている、やさしくて強い光景に衝撃を受けました・・。地域の人々~自然環境と、ここまで親和の
情を保ち、完璧に機能している仏像を観たことは無かったです・・。

傍らに立てられていた解説によりますと、元来、四十八体あったというその石仏群は、室町時代に対岸の観音寺城
(現在の安土町)の城主の佐々木八角義賢が亡き母を弔うために観音正寺の対岸にあたるこの鵜川に建立、東に面して、
六体づつ、八列並んでいたようです・・が、十三体が大津市坂本の慈眼大師廟に移され、二体が盗難(・・その魅力から
気持ちは解からんでもないが、そんなことようやるわ・・)とのことで、現在は三十三体が並んでいる状態である・・との
ことでした。

・・昼下がりの光を受けながら、柔和な表情を浮かべて、じっと座っている石仏や、新旧、やさしく並んだ墓石の間からは、
シダや雑草の若い芽が、パッと鮮やかにその葉を明るく光に透かしていて、石と緑の美しく調和した色彩の間を、小さな
ちょうちょが、ふよふよと飛んでいる様は、奇跡的なまでに穏やかな園でした・・。

~再び、木立の合間を抜けて、国道~水田が広がる道へと入り、山沿いを走り行く湖西線・新快速を横目に
JRのカレンダーみたいやな・・!とチャリチャリ・・田植えが終わったばかりの大きく山が映り込む田んぼに、ゲンゴロウ!
~トノサマガエルにアマガエル発見、~バス釣り師が集中力であちこち潜む乙女ケ池(・・何でも壬申の乱の時は、前線基地
だったらしい・・)~大溝城址(信長が天下統一に向けて、甥の信澄に築城させた城の跡とのこと・・。この周辺は古より、
天下取りの要所だったようです)とまわり、駅サイクリングに無事帰還!

のどかな空気のホーム向こうからやって来たアルミボディの新快速へと乗り込み、寿司屋さんで分けて頂いた鮎煮
・・汁出んやろか・・と不安になりながらリュックを膝の上で水平保って、車窓に映る比良山系の山々眺めて大阪へと
運ばれました。

何もかもが金にすりかえられて行く現代において、かけがえのない自然環境と純度の高い精神性をふつうに維持されて
いる滋賀県高島市・・いろいろと観て回ったことが、直接お米のパッケージに反映されるか分かりませんが、心の中に滋養
を含んだ空気が充填されたことは間違いないと思います・・。


追伸: 琵琶湖産の小鮎煮・・お腹の部分のオレンジのグラデーションが美しく、あたたかいご飯と食べると柔らかい甘みと
ハラワタの爽やかな味に琵琶湖の砂浜でみた透明な水を思い出しました・・。あのお吸い物に入っていたワイルドな山椒の
葉もボンボン入っていていい組み合わせだなぁ・・としみじみ、地域が培う個性に勝るもの無し・・美味しく噛み締めて頂きました。



というわけで、米蔵人おくむらさんでの一斗缶画廊、および常設展は現在入れ替え準備中です
ので今しばらくお待ちください。
2013.6.8
★梅雨の中休みというには、えらく長い間晴れの日が続いている今日この頃の大阪地方。
暑い日射しと抜け切らん空からの重い感じ・・がなかなか堪えますが、みなさん、元気で
励まれておられる事と思います!

商店街の八百屋さんでは、腰の曲がったお婆ちゃんが青梅を沢山カゴに入れてレジに
並んでいました。梅酒を漬けはるんでしょう。美味しく漬かると良いですね。

私の方は、ようやく届いた半袖制服の薄さと軽さをあらためて実感・・!しつつ、日焼けが
もたらすグッタリ感を少しでも軽減しようと顔面~首、半袖の際、まで日焼け止めを塗り
たくって勤務・勤務かましている毎日です。

先日は、いつも朝メシのサラダに搾って、うまいうまい!と皮まで食っていた安価な
不揃いの国産レモンを買わせて頂いていた近所のお店が、本来の卸し業に一本化される
とのことで、悲しくも閉店してしまい、だいぶショック・・ではあるのですが、今までの感謝!!
を胸にラスト、多目に分けて頂いた青めのレモンを大事に噛み締めて頂いてます・・。
そういえば、先日、テレビでピーマンのビタミンCはレモンよりも多いって言ってました。
やるぜ夏野菜!これからはピーマンか!?・・まぁ、また何か考えて食います。


ところで、日本古代史がどうにも気になる近頃の私・・、先日は近場ではありますが、
あらためて四天王寺~その周辺、また日をあらためて難波宮跡~玉造と歩いてきました。

幾多の火災や戦災を経て、現在のコンクリート造りとなっているとの四天王寺・・境内でうなだれた
オッチャンや、独特なグルーヴを放つオバチャンら、凶暴な亀の注意書き等々、京都や奈良のお寺
とはだいぶ趣きが違いますが、聖徳太子が建立した当初の再現である南北一直線の伽藍配置や、
石舞台~かつては、難波の津に面した上町台地の西の端、海に沈む夕日がきれいな崖の上
に位置していたという石造りの鳥居(・・こちらは鎌倉時代のものとのことで、ずんぐりとした
フォルムと独特な扁額はかなり格好良かった!・・)と、その向こうの真西に向かって石畳を敷き、
道路を開けて景観を保持している心遣いは、・・良いですねぇ!!となかなかのロマンでありました。

またJR天王寺駅に向かって歩きながら、谷町筋向かいのこんもりと緑が茂った堀越神社に寄って
みたところ、何でも聖徳太子が叔父の崇峻天皇を祀って建てたとのことで、ご神木の楠木をはじめ、
境内の樹木の美しさ、社や注連縄との調和、落ち着きはさすがの歴史の空気感で、西側、裏手の
斜面から海やったんやろうか・・とまたしてものロマンでありました。(また熊野詣の出発点とのことで、
境内にあった小さなお社、熊野第一王子之宮の八咫鳥のマークも印象的でした)

・・と経て後日向かった谷町4丁目、NHK大阪放送局横目の難波宮跡・・ちょっと長くなって来ました
ので、また書きます・・。


追伸: 先日、わんぼる君が太田垣康男先生の漫画、“機動戦士ガンダムサンダーボルト”の2巻
が出とった!と読ませてくれました。

・・未来の塵だらけの宇宙空間で戦争・・が舞台の物語ではありますが、そこに描かれているのは、
国家、企業の利潤の為にどこまでもゴリゴリに骨身を食い尽くされて行く我々と何ら変わらん姿
でありまして、そのシンどさのリアルは読みながらに相当に苦痛でありながらも共感・・を呼ばずには
おれん感動でありました・・!



というわけで、米蔵人おくむらさんでの一斗缶画廊、および常設展は現在入れ替え準備中です
ので今しばらくお待ちください。
2013.6.17
★台風の接近でも、大した雨は降らんまま通過・・湿った風だけがぶおっと吹き去り、
えらく高く抜けてしまった空からギンギン日射しが照りつけた先週の大阪地方。

~雨・・と経て、再びの暑さ厳しい今日この頃でありますが、みなさま元気に
励まれている事と思います!

私の方は欠品の為、中古で届いた制服夏ズボンの薄さに感謝!しつつ、アゴから滴る
汗の粒のデカさと、来るべき夏本番の恐怖に焦りながらひたすら、目の前の業務をこなし
続けている毎日であります・・。

そんな私の郵便受けに先日、市民税の請求書が届いておりました・・。クタクタのやる気
の無い目つきでそれを開けてみて驚愕・・“冗談やろ・・?ワシゃ税金払う為に働いとるんか・・”
な金額に、このままじゃメシ食えんくなる・・と記されていた電話番号に後日相談してみた
ところ、“昨年払われた国民健康保険の額が反映されてないようなので、計算し直して再度
送ります”との返答・・。

“・・? それって、もしこの電話をしてなければ、このままこの額払ってしまうんじゃ・・”
と訊ねると、“税制とはそういうものなのです”とのこと・・“もし、払い過ぎても言わなければ
返って来ないんですか?”と聞くと“・・税制とは申告制なのです”と、シレーっとおっしゃる・・。
・・詐欺か?・・信じられん・・人を何と思っとるんやろう・・と、声を荒げそうになりながらも、
ひょっとしてやさしく教え諭しとるつもりか・・?と、あまりのやり口にやり場の無い怒りと悲しさ
で一杯・・になった私は、声を押し殺し、クソ真面目に払った国保代の反映を懇願・・。情けなさ
で一杯になって電話を切りました・・。


・・結局、貧民の扱いは租・庸・調の時代から何も変わってないんかな・・地獄の黙示録ですよ・・。


・・しょうもない愚痴を虚しく書き連ねてすみません・・。

いつもながら面白くも何とも無い話となってしまいましたが、先日の続き、地下鉄谷町四丁目で
下車して向かった難波宮跡のレポート・・!自分自身の為にまた書かせて下さい。

NHK大阪放送局下の難波宮の発掘跡~屋外に復元された古墳時代の倉庫一棟、とその周辺で
技の修練に勤しむBMXライダー~スケーター達の凄い取り合わせの風景・・~真北に現れた
大阪城を横目に臨んだ難波宮跡・・。

だだっ広い広場のそこは、休日の午後とあって家族連れや大道芸~楽器の練習をする人達が
散らばる、一見、緑地広場や公園の様でありましたが、一部再現された宮殿の石造りの基壇と
その上の礎石や、中央大通りを挟んで広がっていたらしい宮殿の史跡案内板等を照らし合わせて、
何となく思いを馳せながら歩いてみました。

気になる珍妙な八角形の藤棚がある場所には、どうも八角堂(宮殿を挟んで東西にあったみたい)
が建っていたらしく、その微妙なセンスに何とも言えん気持ち・・になりながらも、足元から感じる
地面の感じや、街路樹のデカさ、その上に乗っかる空気の安定感は、さすがの古代からの上町台地
たる所以でしょうか・・?

西区の公園や中之島、梅田といった地域に漂う、街路樹の存在感を含め、空気までもがどこか軽い感じ・・
は、ひょっとしてその地盤の組成、土壌の厚みにあるのではなかろうか・・と、思ってみたりしながら、
難波宮跡から南に、ハイソサエティな住宅街を東へと歩き進み、かつての細川家跡~キリシタン大名
の高山右近氏、に細川ガラシャさんの像が立つ大阪カテドラル教会・・と、壮絶な歴史跡の中を潜り抜け
まして、玉造稲荷神社に到着。

境内には、かの千利休居士が大阪城下で茶の湯に用いた井戸(千利休のお屋敷はこの南西にあったとのこと)
~豊臣秀頼公の胞衣塚、とまたまた濃い史跡・・に、加え、境内の北東、こんもりと茂ったした樹木の手前には、
大阪夏の陣~第二次世界大戦と戦禍を潜り抜けてきながらも、阪神大震災で壊れてしまったという秀頼公寄進の
石鳥居(大阪ではあの四天王寺の鳥居につぐ古さとのこと)が半分埋められたかたちで保存されており、その
存在感はだいぶ凄かったです・・。

また、私、全く知りませんでしたが、“玉造(たまつくり)”という地名・・古代より勾玉づくりの職能集団が住まわれて
いたことに由来しているとのことで、境内には家型埴輪を模したコンクリートづくりの資料館が建っており、事前予約
をすれば見学させて頂ける・・!とのことでしたのでその日は社務所にて申し込み(・・その話はまた書きます・・)
~“笑いを大切に”と刻まれたこの地が生誕地であるという戦後の笑いを指導されたという上方笑の父、秋田實さん
の“笑魂碑”なる石碑が建っており、傍らの、“怒ってよくなるのは猫の背中の曲線だけ”という可愛らしい文字と言葉に、
濃厚なアトモスフィアーでやられ気味だった気持ちがふっと軽くなった気がして微笑み、境内を後に東から丘を下り、
近いのに全然知らなかった町のJR・高架下のごちゃっとした風情を愉しみながら駅本屋で立ち読み少々・・。
ちょっとした旅の名残を惜しんで環状線に乗車・・。

~何も知らんなぁ・・と、脳と胸中に残った空気と印象を反芻しながら、車窓の、大阪城の向こうから差す西日に
ガタコン・・揺られて帰りました。


というわけで、米蔵人おくむらさんでの一斗缶画廊、および常設展は現在入れ替え準備中ですので
今しばらくお待ちください。